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REALIZE Stories 社会の進化を、世界の可能性を、未来の希望を、描いた者たちの物語。

2025.09.05

思いと戦略で切り開いた、建築家としての道

いたさか さとし

板坂 諭

名城大学理工学部建築学科卒
建築家
株式会社the design labo 代表取締役
2025大阪?関西万博 パソナグループパビリオン設計者
1978年生まれ

「いのちより長く残るもの」への憧れが原点

 建築家を志したきっかけは、幼い頃に経験した「喪失」でした。大切にしていたペットや祖母との別れ。その悲しみが、はかない“いのち”とは対照的な「長く残るもの」への憧れへと変わっていきました。スペインのサグラダ?ファミリアのように、時を越えて守られ続ける「建築」という存在に魅了され、中学生の頃にはすでに「建築家になる」と心に決めていました。

 大学時代、特に影響を受けたのは牛山勉先生の授業です。先生が教えてくださったのは「コンセプト」の本質。「建築は、物理的な完成度だけでなくストーリーが重要」という教えは、今も私のものづくりの核になっています。

 一方で、学費を自分で賄うため、三つのアルバイトを掛け持ちするハードな学生生活でもありました。必要に迫られた選択でしたが、多様な立場の人と接する中で、それぞれの価値観を理解する大切さを学ぶことができました。飲食店ではバックヤードの動線がいかに店舗の機能に直結するかを、肌で実感。これらの経験一つ一つが、幅広い案件への対応力につながったと感じています。

パソナグループの大阪?関西万博パビリオン「PASONA NATUREVERSE」の 建築デザインを担当。パビリオン内の映像に登場する未来都市の建築デザインも手がけた
パソナグループの大阪?関西万博パビリオン「PASONA NATUREVERSE」の 建築デザインを担当。パビリオン内の映像に登場する未来都市の建築デザインも手がけた

思いと戦略で切り開いた、建築家としての道

 就職活動を始めたのはかなり遅く、卒業間近のタイミングでした。「ここで経験を積みたい」と思う事務所に手紙を送り、実は内定も出ていないのに事務所近くのアパートを契約(笑)。「こいつを採用しないと、路頭に迷うのでは?」そう思わせる状況をつくり、強行突破で臨んだ就職活動でした。

 当初は30歳での独立を計画していましたが、実際に独立したのは就職から約10年後。独立当時、建築業界では「大御所」と呼ばれる建築家が力を持ち、若手が大きな仕事を得るのが難しい状況にありました。そこで私が選んだのは、小さなプロダクトのデザインに特化する差別化戦略。「建築には家具なども含め、全てのデザイン責任が伴う」という自身の信念と、プロダクトまで対応できるベテランの少なさ。この市場の隙間に自分の価値を見いだしたのです。

 小さなプロダクトからスタートした仕事は徐々に広がり、建築だけでなく、アート制作やキュレーションにも関わるように。これらの積み重ねが、大阪?関西万博のパビリオン設計にもつながっていきました。

大阪?関西万博パビリオン設計で、思いを形に

 建築デザインを手がけたパソナグループのパビリオンは、グループ代表の南部靖之さんからの「アンモナイトの形にしたい」というオーダーから始まりました。約4億年前に誕生し、氷河期など三度の大量絶滅期を乗り越えて繁栄したアンモナイト。我々の“いのちの大先輩”ともいえるこの生物の姿を、私はそのまま建築として形にすることを提案しました。

 完成したパビリオンは、幅約43m、高さ約16mのアンモナイト型の鉄骨造2階建て建築。宇宙の星雲や台風などのマクロから、DNAの二重らせんといったミクロまで、自然界に見られる「らせん構造」をモチーフに、生命の普遍性とつながりを象徴するデザインとしました。2022年末から構想を重ねたこのプロジェクトには、数々の挑戦が伴いました。中でも大きな課題は、「建物を廃棄せず、万博終了後にパソナグループが本社機能の一部を移転している淡路島へ移築?再利用する」という条件。つまり、全てのパーツを人の手で運び、分解?再構築できるように設計する必要があったのです。こうした通常の建築とは異なる制約の中で生きたのが、小さなプロダクトデザインで培った「不可能を可能にする技術」と「粘り強さ」でした。

 現在、万博は無事に開幕を迎えましたが、私は「移築」に向けた打ち合わせの真っ最中。本当に安心できるのはまだ先になりそうですが、「長く残すこと」を計画に組み込んだこのプロジェクトは、私が建築家を志した原点とも結びついており、持続可能な建築のあり方を示す一つの答えになると考えています。

パソナグループの大阪?関西万博パビリオン「PASONA NATUREVERSE」外観映像

古民家、そして微生物に託す建築の未来

  • 長らく空き家となっていた築100年超の古民家
    長らく空き家となっていた築100年超の古民家

 「長く残す」という思いは、現在事務所としても使用している大正時代の古民家再生にも表れています。私の住む町には、大きな災害を免れた築100年超の古民家が残っていました。しかしコロナ禍をきっかけに、それらが次々と解体されていく光景を目の当たりにし、「価値ある建物を我々の代で失ってしまうのは罪深い」と強い危機感を抱いたのです。そこで、かつて和菓子店だった古民家の再生に着手。次の100年も残せるよう補強を行い、同時に音声やスマホで照明?空調を管理できるスマート技術を導入しました。百年の木材が醸し出すぬくもりと、最先端テクノロジーの融合。そこには「長く使い続けることこそが、本当のサステナビリティ」という私の建築哲学が凝縮されています。

  • ミラノサローネに出展したリコーの展示では、総合アートディレクションを担当
    ミラノサローネに出展したリコーの展示では、総合アートディレクションを担当

 建築の可能性を追求する中で、惹かれるようになったのが「微生物」という見えない存在です。微生物は人間よりはるか昔から地球に存在し、空間の快適性にも影響を与えていることが、医学的にも証明されています。つまり、私たちは微生物と共存しながら生きているのです。この「見えないもの」の重要性に着目し、現在は慶應義塾大学大学院の研究チームに加わり、研究を進めています。

 この思想が形になったのが、株式会社リコーとのプロジェクトです。2025年の「ミラノサローネ国際家具見本市」では、リコーの先端センシング技術と私の空間設計の視点を融合させ、環境や感情、微生物の動きといった「目に見えない存在」を可視化?体験化するインスタレーションを発表しました。

変化の時代に、私が挑戦を続ける理由

 そして今、私の関心は宇宙へと向かっています。今後の市場は宇宙にあると見据え、月面基地の建築デザインなど、宇宙関連の仕事にも挑戦し始めています。常に新しい分野に挑み続けている。そんな印象を持たれるかもしれません。しかし、この変化の激しい時代において、挑戦し続けることこそが最も安全な道であり、仕事を楽しく続けていくために不可欠だと考えています。

 現在、私の事務所のスタッフは全員が外国籍で、日本人は一人も在籍していません。優れた人材を採用した結果ですが、正直なところこの状況は危機的だと思っています。だからこそ、後輩たちにはより広い視野を持ってほしい。何より「新しいことに挑戦する勇気」を失わないでほしい。そう願っています。

PERSONAL DATA
板坂 諭(いたさか さとし)

1978年生まれ。愛知県出身。名城大学理工学部建築学科卒業後、設計事務所2社を経て、2012年に建築設計、プロダクトデザイン、アートの製作やキュレーションなど幅広い分野で創作活動を行う株式会社the design laboを設立。住宅や商業施設などの建築設計を主軸としながらも、国内外の企業からの依頼を受けプロダクトデザインを担当。幾つかの作品が美術館のコレクションに加えられるなど、エリアやジャンルを越えた活動を行っている。著書に「New Made In Japan」(青幻社)、「IN THINGS」(Lecturis)、「菌の器 THE BACTERIA VESSEL」(Speedy Books)がある。